【本宮市長インタビュー】市民と共に災害を乗り越え、元気で住みやすいまちをつくる

今回の首長インタビューは、福島県本宮市の高松義行市長。
東日本大震災や令和元年東日本台風などの度重なる災害に見舞われた本宮市。そんななかでも福島の中央にある「へそのまち」として県内外に発信をしたり、歴史の流れを汲んだまちづくりを進めるなどユニークな取り組みを続けています。
本宮市の魅力や、将来の展望について高松市長にお聞きしました!
理想を現実にするために。僧侶から市長へ。
私の実家はお寺でしたので、元々市長になろうと思ってはおらず、お寺の跡取りをする前に社会に出ようと思い本宮町の役場職員で5年間働きました。その後お寺の副住職となったのですが、地域の方から声をかけていただきロータリークラブや青年会議所での活動をしていました。
こういった団体で活動してみて分かったことは、理想は描けても、それを具現化するにはもっと大きな力が必要だということ。このように感じていたからこそ町議会議員選、そして市長選への挑戦を決めました。
災害が生んだ新たな取り組み、新たな出会い。
市長になって1か月ほどで東日本大震災が発生しました。
福島第一原子力発電所での事故による放射能被害への対応も迫られました。放射能に関する知識はなかったので、有識者の方とアドバイザー契約をさせていただきました。どこから優先的に除染を進めるべきか、除染した土の処理はどうするのか、農作物の放射能の含有量についてどう考えればいいのか等、アドバイザーの方には、忠実に、そして信念をもって取組んでいただき、非常に迅速な対応を取ることが出来ました。
放射能被害への対応を進める一方で、どうすれば本宮市が復興できるのか、元気になれるのか考え続けました。そんな中で、本宮市が福島県のほぼ中央に位置し、古くから交通の要衝であったという歴史を思い出したのです。そこで「福島のへそのまち もとみや」というキャッチフレーズを掲げ、このフレーズを使って本宮市を元気にしていこう、元気を発信していこうという想いを持ちました。全国各地で「へそ=真ん中」にあることを名乗る自治体による「全国へそのまち協議会」に加盟し、加盟市町村との交流を通じて絆を深めるほか、加盟する9市町村が災害時の相互応援に関する覚書の締結をするなどしています。
震災の他にも、令和元年東日本台風など災害は絶えませんでした。しかし、すべて市民の皆様と共に乗り越えてきたと感じます。
私は、台風が通過したその日から、悲観的に押しつぶされずに片付けをはじめている市民のみなさんを目の当たりにしました。中には「乗り越えられない試練は与えられません、一緒に頑張りましょう」と声をかけてくださった方も居ました。この経験から、「住民の前向きな気持ちに市が追い付かなければならない」と、心を奮い立たせられました。
二度と経験したくはない災害ですが、悪いことばかりではないのかもしれません。
たくさんの災害に見舞われたことで、地球温暖化の解決にも積極的に取り組んでいきたいと思うようにもなりました。災害の恐ろしさを知っている本宮市だからこそ、原子力発電所、強力な台風、新型コロナウイルスなどの課題に向き合っていくなかで、未来の世代によりよい社会を残すために行動に移していかなければならないと考えています。
本宮らしいまちづくり。歴史を活かし、住みやすさを追求する。
まちは歴史のなかで創られていくと私は思っています。本宮市であれば、宿場町として多くの人が行き交い、産業が生まれてきたという歴史があります。また、市民の人懐っこさや支えあっていこうという気質も長い年月をかけて育まれてきた。こういった本宮の人たちが紡いできた歴史を無視するのではなく、これを元にまちづくりをしていくことを目指していますし、その成功のためにも本宮に住む市民や企業のみなさまの意見を取り入れていきたいと思っています。みなさんと意見を交換することでまちづくりのヒントを見出せるのです。
現在の本宮市は住みやすいまちとして知られています。東京や仙台といった主要都市へのアクセスもよく、県内の都市との行き来も盛んです。市内にも多くの大企業や地場産業があり、住環境と職場が近いことも特徴の一つ。さらに屋内外の遊び場も充実しており、子育て環境が整備されています。「住み心地がいいちょうどいい場所」だと実感していただけるように引き続き発信していきたいと考えています。
「先人の後を追うなかれ、先人の目指したものを目指せ」
本宮市の職員には「自分のため」ではなく「市民のため」の仕事をしているということを常に心にとめてほしいと話しています。市民のために働くには変化が必要です。役所に長く勤めていると「変化」や「初めて」が苦手になってしまうこともあります。そのため若い職員の方々には「先人の後を追うなかれ、先人の目指したものを目指せ」と伝えています。先輩と同じことをするんじゃない、真似をするんじゃない。目指すものは同じでも、社会の変化に合わせて柔軟に仕事をしていくべきだと伝えています。
新たなキャッチフレーズを掲げた災害からの復興や歴史を活かしたまちづくりに強い信念を持って取り組んできた高松市長。
変化を恐れず柔軟であることを大切にする市長からは、「市民のため」そして「市民と共に」全力で使命を全うしていく姿勢が伝わってきました。
貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました!
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