【東松島市長インタビュー】職員と共に、復興の加速・完結に向けて全力投球!

今回は宮城県東松島市の渥美巌(アツミイワオ)市長にお話を伺いました。
復興に向けての取り組みや職員の人材育成など、渥美市長の想いをお届けします!
渥美市長が市長に立候補された理由を教えてください
理由は2つあります。
1つは、東松島が好きで、地元に恩返しがしたかったからです。
市長になる前は、矢本町(2005年に鳴瀬町と合併し、東松島市に)役場職員を28年間、県議会議員を6期22年務めました。
東日本大震災が発生してからしばらくは、県議会議員の立場で前市長と共に復興を進めてきました。
前市長が勇退する際に、市政を継承してほしいと相談を受けたことがきっかけとなり、最後は地元に恩返しがしたいという想いになりました。
もう1つは、復興を円滑に進めるために、矢本町職員時代、県議会議員時代の人脈を活かしたいと思ったからです。
国の復興期間が10年と決められていたことから、行政に精通していない人ではこの期間内で復興を完結させるのは、難しいのではないかという考えがありました。
そのため、県議を途中で辞めて立候補を決断しました。
市長に立候補された際には、やはり復興に一番力を入れたいとお考えでしたか。
やはり地元の為には、復興を加速させることが一番だと思っていました。
東松島市内の死者、行方不明者が合わせて1133人、家屋が11000棟以上被災しています。
今までにない程厳しい状況に陥ってしまったので、これをなんとかしたいという想いでいっぱいでした。
実際、私のマニフェストでも、「復興の加速・完結」を謳っています。
国の制度で復興創生期間が10年と決まっている以上は、その期間内にしっかり復興を完結させなければなりません。
そして、被災した方々の心の復興も大事にしていかなければならないので、現在は被災者に寄り添った政策、ソフト的な復興に取り組んでいます。
例えば、市役所で全てを対応することはできないので、地域住民同士で福祉や災害の際の一時的な対応を可能にするよう、地域コミュニティの再生に力を入れています。
具体的には、災害公営住宅に入居している高齢者の見回り等も、東松島市では可能な限り地域でしていただくという方針にしています。
またハード面に関しては、復旧することが震災復興の基本ですが、それだけなく、海浜緑地に新たにパークゴルフ場を作るなどして震災前以上の状態にするよう、「創造的復興」を目指しています。
残り2年の復興創生期間において、最も必要とされている事は何だとお考えですか。
やはり、政治家に必要なのは結果を残すことです。
自分と市民との約束であるマニフェストをしっかりと実現し、結果として残していくことが大事だと思っています。
これまでの経験や繋がりを活かした市政を成し遂げたいと思っていますし、それができるのは私しかいないと思っています。
これからは、人口減少社会の中で生き残りをかけた自治体間の競争の時代です。そのような時代においては、市長としてどれだけアイディアを出せるかどうかにかかっていると思います。
職員から出て来るアイディアだけでなく、市長としてのアイディアもしっかり出して、オリジナリティに富む自治体にしていかないと、生き残れないと思っています。
そういったことを達成するために、現場職員にはどんな気持ちでどのような事を目標に働いて欲しいですか。
私が言ってるのは、市民が主役であり、職員がやっているのは、市民の幸せのお手伝いであるということです。
この職場は単なる金儲けのための職場ではありません。
「働いてあげている」のではなく、「働かせていただいている」職場なのです。
私の公約実現の原動力は、職員のみなさんです。
職員の力なしに公約の実現はできません。
全体の奉仕者であるということを常に忘れず、市民の幸せのために、仕事に対して、公平・誠実に取り組んで欲しいです。
そして、持ってる能力を十二分に発揮して欲しいと思います。